お知らせ

ご心配おかけしました

更新日:2018/06/29

【ご心配おかけしました。】

最初に・・・
友人及び関係者の皆様にご迷惑とご心配をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。

知らない方もいてびっくりされちゃうかもしれないけど・・・
長い投稿になるかもしれないけど・・・
お時間あるときにでも読んでもらえたら。。

今回、6月頭から小笠原へ
その前に抱えていた身体の痛みの件で
病院にかかり、1ヶ月小笠原にいるならと
1ヶ月分の薬を出してもらいました。
この時は薬の怖さをまだ知らない私でした・・・

毎日、その薬を飲んでいたけど
6月21日に母島へ渡ってから急に具合が悪くなり・・・

最初は熱中症かな・・・
こんなこと初めてだなって思いながら水分補給したり・・・
でもいっこうに良くならない・・・さらに具合が悪くなってくる。
返還祭前夜祭で唄わせてもらって・・・でもなんだか気分が悪い。。
早めに帰らせてもらって寝たけど身体が危険信号を出してる。
119してもらって診療所へ。点滴をしてもらいました。
少し落ち着いて(やっぱり熱中症なのかな)って思いながら寝ましたが翌日はさらにさらにつらくなっていて・・・・
本当は24日の母島返還祭でライブをする予定だったけど
とてもライブが出来る身体ではなく・・・急遽ははじま丸で父島に渡ることに。

父島到着後、すぐに診療所へ。
そして点滴と血液検査とすぐに対応していただけました。
一度、その日は帰宅して翌日朝また来てねと言われたので
翌日にまた父島診療所へ。
そしてまた血液検査をした結果で何が原因かほぼ判明。

熱中症だと思っていた身体は
内地の病院でもらった薬の副作用だったこと。
その薬を飲むことによって
白血球と血小板が減少するというとても恐ろしいことが起こってました。
内地で4000あったものが117まで減少・・・
このまま行くと、感染症や肺血症などを併発したらそれこそ危ないということで父島のドクターの判断で緊急搬送が決まりました。

フライトが決まるまでまわりは慌ただしく
わたしだけがベッドで横になってぐったり

・・・というかもうここらへんから自分の記憶があいまいで
父島診療所で1泊したのかどうなのかもわからない(°°;)

とにかくヘリがもうすぐ来るということで
自衛隊の敷地まで救急車で移動。
たくさんのおともだちが見送りに来てくれていたのを
うっすら覚えてます。
ヘリに乗せられてどれくらいか・・・わからないけど
隊員の方に「硫黄島に到着しました」と告げられ
ヘリから抱えられて下りたときに初めて硫黄島を見ました。
外からは何度も見てるけど島からの景色は初めて。
朦朧としてる頭で(しっかり見なくちゃ)というキモチだけはちゃんと持ってた笑
だからそこだけはちゃんと覚えてる。

硫黄島からは海上保安庁の飛行機へ。
そこには広尾病院のドクターもいてくれた。

海保飛行機で羽田まで飛んでそこから救急車で広尾病院へ。

父島から広尾病院まで
ヘリ要請から数えるとたぶん・・・
6時間。
それはとても早い方だと思います。
かかるときは10時間以上の場合も・・・
航空路が無い小笠原はこのように急患の時は
自衛隊、そして海保の方の力を借りないといけない。
でも・・・航空路のお話はまた別の機会に・・・として

朦朧とする中で
わたしのこの搬送で何人の方が関わってくださっているのか
ちゃんと知っておきたくて人数を数えたり。
見えている範囲で自衛隊ヘリでは4名の隊員の方。
海保の飛行機に乗り換える時に駐屯している自衛隊の方が数名、海保の飛行機内にはパイロット含め前方に3名
後方に3名そして救急の方2名、そして広尾のドクターが1名。
そして島から付き添ってくれていた友人。
もちろん、母島のドクター、看護師の方。父島の診療所のみなさんも・・・

ヘリの中でも飛行機の中でも
わたしが不安にならないように声をかけて励ましてくださった隊員のみなさま、本当にありがとうございました。

父島と母島の返還祭で唄わせてもらえる予定だったこと
27日夜には観光船の中でのライブの予定もありました。
30日の返還パレード、そして1日のはは丸いナイトライブ
全部キャンセルとなってしまって
関わってくださっていた友人、新聞社の方、報道の方
本当にご迷惑とご心配をおかけしました。
きっちり身体を治して改めてお礼をしたいと思います。

写真は記録として友人が撮ってくれていました。
さすがに運ばれている姿はUPに耐えられないしそんなの誰も見たくないよねと思うのでキレイな父島の海、硫黄島の海、西之島の上空の写真。
わたしからは見えなかった景色だけど
愛する小笠原の海、ボニンブルーの色
ずっとずっと大切にしていきたいと改めて思いました。

こんな長文最後まで読んでくださったみなさま
ありがとうございます!

小笠原諸島返還50周年の返還当日に
急患で運ばれたという前代未聞、、、ということを
忘れずに生きていきます。

ありがとうございました。